夜更けの激しい雨の音のせいで眠りが浅かったからか、夜中に何度も目が覚めた。
昼間にジョギングと筋トレをこなしたから身体は疲れているはずなのだが、むしろそれよりも寝る前に飲んだビールと梅酒のソーダ割りのせいで、頭が冴えているような朦朧としているような感覚が漂っていた。

おかげでいつもよりも夢を覚えている。目が覚めて、ふたたび眠りに落ちるたびに、その前の夢の続きを見た。もしかしたら何度も目が覚めたことも夢の一部だったのかもしれない。母方の祖父母の家。何人かで中華料理屋に入ろうとしたときの、店員によるとにかく強行な入店拒否。

おかげで今朝は寝坊してしまった。といっても、家族3人ともちゃんと朝食は食べたのだが。
昨日の夕飯は豆腐とニラの味噌汁。豚と鶏ひき肉のそぼろ煮。タマネギもいれたのでなんだか味が吉○屋風だったが、こういうしょう油と砂糖、みりんの味付けがぼっちゃんは大好きみたいだ。ごはんに盛るように更に添えたレンゲで大量にすくって食べていた。けっこうたくさん作ったので何日か常備食になるかなと思ったが、結局、今朝には食べ終えてしまった。

ぼっちゃんの保育園にはいま、職場体験という授業で中学生がきている。せっかくだからということで今日はプール遊びが予定されていたが、あいにくの天気で残念。


知人に貸したマンガや本が返ってきたが、そのなかに『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』があって、ああ、これも貸していたのかと、パラパラとめくる。
この作品は「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の二つの世界が交互に、同時進行で描かれている。「世界の終り」の静寂な世界におもわず読んでいるこっちの心まで深く、しーんとしてしまうが、「ハードボイルド・ワンダーランド」の食べ物の記述や食事シーンを読んでいると、なんだかお腹がすいてどこからともなく食欲が湧いてくる。

「そりゃすごいわよ」と彼女は言った。「外食するときはふつう二軒つづけてはしごするのよ。まずはラーメンとギョーザなんかで軽くウォーミングアップしてから、ちゃんとしたごはんを食べるの。お給料のほとんどは食費に消えちゃうじゃないかしら」

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』p.155

僕が学生の頃は、このちゃんとしたごはんの後にコンビニで菓子パンとプリンとビールを買って食べたり飲んだりしていたが、そのような食欲はいったいどこからやってきて、どこにいってしまうのだろう?あるいはそれらはどこかに消えてしまうのではなく、じっと身をひそめてこちらをうかがっているのだろうか?たとえばタンスの陰から?

そういえばこないだ競輪選手になるための学校のドキュメンタリーを見ていたら、ごはんの入った大きな炊飯器の隣にはかりが置いてあって、みんな計りながら茶碗に700グラムとか、1キロのごはんをよそっていた。

「ねえ、私があなたのことをどう考えているかわかる?」
「質の良い気違いか質の悪い気違いか、どちらか決めかねているんじゃないかな?そんな気がするけど」
「だいたいあたっているわね」と彼女は言った。
「自分で言うのもなんだけど、それほど質は悪くないよ」と私は言った。「ほんとうのことを言うと気違いですらない。まあ多少偏屈で頑迷で自己過信のきらいはあるけれど、気違いではない。これまで誰かに嫌われたことはあっても気違いと言われたことはない」
「ふうん」と彼女は言った。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』p.141

こういうことを昔、誰かに言ったことがあるよう気がした。
でも問題は、僕の場合、嫌われたことがあるだけでなく気違いとも思われていたことだ。