ぼっちゃんは連休明けのひさびさの保育園で最初はテンション低だったが、ストーキングしているあの娘の姿をみたとたんエンジン始動、避難訓練で消防車が来たときはすっかりハイ・テンションで、自分から消防車に乗り込もうとしていたらしい。


朝、ラジオをききながら部屋の掃除をしたり、食器を洗っていたら、吉田秀和さんの声が聞こえてきた。シェーンベルクをずっと特集してきたが、今回からはチャイコフスキーの特集をやっていくとのこと。まずはピアノ協奏曲第2番。1番はあまりに有名だが、2番を聴いたのは初めてだった。そして交響曲6番「悲愴」。ヨシヒデがまだ若い頃、レコード屋の視聴室で聞いていたら思わず興奮して立ち上がり、あまりに凄すぎてうろうろ歩きながら聴いた後、椅子に座ったらそこにおいてあったレコード(SP盤なので割れやすい)を割ってしまって、困った、という、有名なエピソードが語られた後(そして結局、お店の人もわざとじゃないだろうから別に気にしなくてもいいと言ってくれたが、気持ちが収まらなくて一枚分のお金を置いて店を出た、という話だったと思う)メンゲルベルクの録音から第1楽章と第3楽章。

そのエピソードが書かれてある文章を読んだときは、割ってしまったことに動転してしまって、誰の録音だったか、ぜんぜん覚えていないということだったが、今回の話を聴いていると、そのとき聴いたのはこのメンゲルベルク盤だったのかもしれない。しかし、メンゲルベルクの悲愴は1937年と1941年の録音が残されており、しかも、或る時期まで二つが混じった録音が流布していたらしいのだが、ヨシヒデが聴いたのはどの録音なのだろう。でもやはり37年盤な気がする。

その悲愴を聴いて頭の中に浮かんできたのは、もう何度も書いたが「まんが道」で満賀道雄手塚治虫に「ジャングル大帝」の最終回を書く手伝いで呼ばれたエピソードだ。たしか手塚が編集者に「あれかけてよ」な感じでBGMとして選んだのだが、その音楽とあいまってか、手塚の原稿の凄さにビビってしまって、結局何も手伝えなかったとか、そんな話だった。ああ、そんなことを書いているとまた読み直さなくてはならない気分になってきた。


添削された原稿を送ってもらったことはありがたいが、できればもっと早くに送ってくれたらというか、さて、送る準備をしようかね、というときに送られてきたので、ちょっと慌てたといえば慌てたというのが本当のところではあるが、とにかくありがたい。

コメントの一つ一つを検討しながら、本文を書き足したり、書き直したり、書き足したけど本文中に収まりが悪いなと思うと脚注を書き換えたり、なんだか今回は妙に神経が疲れた。それでも郵送にかかる時間も考えて期限ギリギリまで粘り、なんとか、完成というものが存在するのかわからないが、完成。

朝の冬ソナを見ながら原稿をフロッピー・ディスクにコピー。プリントアウトをパチンとホッチキスでとめて、それらを封筒にいれて封をする。事務局のひとに、それでもすこし期日に間に合わないかもれない旨を連絡すると、通知してあった日程はとりあえず目安で、印刷屋との交渉しだいでは、今月一杯まででもなんとかなるとのこと。

いますぐ郵便物の封を切って書き直そうかと思ったけれど、なんだかもうこれ以上いじると逆にどうだかな、という気がして、思いとどまった。書き直せば書き直すほど良くなる気もするが、なにか、そのあたりは微妙な臨界点がある気がする。それに、たぶん月末まで粘っても、やっぱり心残りがないということはないだろうし、それに、そろそろ次に進みたいという気持ちが強かった。

おととい、指導教官の先生から電話。11月の学会の委員会で、応募者多数のため去年とおととし発表した人は、発表できないことが決まった旨を聞かされる。ばっちりおととし発表した人の中に入っている。無念。