武満徹ピアノ曲集

先日街にいったおりに、棚ボタ的にお小遣いが出てきたので、ナクソスから出た「武満徹ピアノ曲集」asin:B000RY422Qを購入。久しぶりにタワーレコードで散財。といっても1050円だが。
いま書いている論文のテーマと関係ありそうでないような気もしないこともない気がするが、ひそかにこっそりタケミツ・ブーム。最初の著書『沈黙、音と測りあえるほどに』も「日本の古本屋」でネット注文して、届いた本を開いて「ピアノ・トリステ」という文章を読んでジーンとくる。(ちなみに、先々週の土曜日に発送の旨のメールが書店からきたが、届いたのはほぼ一週間後の、週明けて金曜日だった。思わず心配になって書店に発送確認をお願いする旨のメールを送信した直後に「ブーン」とバイクが家の前に停まって、玄関に出た僕に荷物を手渡してくれた。佐○メール便って、そんなに日数かかるのか?どうなのよ○川さん?)

冒頭の文章から、なんか背中のほうに戦慄が走った気がした。

ピアノという楽器には悲しい思い出がある。
終戦から二年して、私は駐留軍のキャンプに働くことになった。音楽によって自分は生きたいのだと家人に告げたときから、私は生活のいっさいを自分の手でしなければならなかった。学校からは卒業とも退学ともつかないかたちのままに遠退いていた。階段教室の埃っぽい床におかれてあったピアノは、不謹慎な生徒である私をかたくななまでに拒みつづけた。鍵をこわすこともおっくうになり、学校はもうどうにもならないほど私を嫌い、私もまたそうなっていた。生活して行くということは容易ではなかった。労働に不慣れだったし、私の肉体はそのことにむかなかった。(p.22)

その後、独学で音楽を勉強をしていく武満は、月賦払いでピアノを手に入れるが、月々のピアノ代も滞るようになり、ついにはピアノを手離さなければならなくなった。しかし、アノを手離した後も、もちろん働かねばならない。駐留軍の闇煙草売りをしたり、横浜の米軍キャンプ内のホールでボーイとして働き、昼間はホールにおいてあるピアノで作曲に打ち込んだ。

そんな武満にある日、とつぜんピアノが届けられる。

或る朝、なんの前触れもなしに一台のスピネットピアノが私たちの家に運ばれてきた。それが未だ面識もない黛敏郎氏から送られて来たものだと知ったときに、私は音楽という仕事の正体に一歩近づいたように直感した。もういい加減の仕事をしてはならないのだと思った。私の家の近くに住む芥川也寸志氏の口添えがあって、黛氏が貸してくださったピアノだった。(p.24)

こういう話って、すぐ「昔の芸術家どうしの交わりはすばらしいね」みたいな話になってしまうのだが、そんなことよりも、武満が垣間見た「音楽という仕事の正体」というものが何なのか、そのことがぼんやりといつも頭の中にありつつ、文章から伝わってくるこの直感の感触を自分の中で探る。それは人によっては料理だったり、庭の仕事だったりするのだろう。そして、武満徹ほどの仕事はできないだろうが、僕も「もういい加減の仕事をしてはならないのだ」と思う。


堀江敏幸の『雪沼とその周辺』をやっと町内の書店で購入。

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

すばらしかった。あっという間に、一気に読んでしまった。久しぶりに小説というものに引きこまれた。