月とだんご。

きのうは免許更新。数年前、56キロで走っていたら(確かにその道は40キロ制限の道だった)スピード違反で捕まったので、今回は講習区分B 一般者講習(軽微な違反を一回した者講習)60分コース。強調しておきたいが、56キロ・オーバーではなくて、56キロで走っていたのだ。

自動車学校に行っていたときも思ったけど、大企業の社長も、長距離トラックの運転手も、ヤンキーも貧乏大学院生も、そんな肩書きは関係なく、一つの部屋に、割り振られた番号順にギュウギュウに座って講習をうけ、ビデオを見る。自分が匿名な大多数の一人にすぎないということに、改めて気づかされる。

夜は町の或る地域にだけあるお月見行事にぼっちゃんを連れて行く。その集落では、中秋の名月のその晩に、玄関にダンゴなどをお供えして、お菓子をたくさん置いておく。そして子ども達がそうした家々をまわってお菓子をもらい歩く。昔はおこわなどが炊いてあってそれを食べ歩いたりしたらしいが、時代が変わって、いまは袋詰めのお菓子。すれちがう子どもたちの持つ大きなバッグも、もうお菓子でパンパン。
ぼっちゃんもお菓子を見つけると自分で掴み取り、母の持つ袋にどんどん入れていく。
しばらくお菓子にはこまらないみたいだ。

その晩ぼっちゃんがゲットしたカップうどん(お菓子とはかぎらず、缶ジュースやカップ麺の家もある)が父母のその日の夕飯となった。ありがとうございまーす。帰りにお風呂に入って、帰宅途中の車の中でぼっちゃんはご就寝。

いつもお風呂で会う方家に、先日ぶどう狩りで採ってきたぶどうを持っていく。ぼっちゃんを孫のように可愛がってくれて、われわれ父母もそのご相伴にあづかり、ときどき夕飯のおかずなどをタッパに入れて貰ったりしているので、そのお礼に。
しかし、帰りに手作りのお月見だんごの他、茹でた栗、自分のうちで作っているというニラ、ゴーヤなどを逆に頂いてしまう。何をしにきたのかわからないが・・・。


ぼっちゃん、ますますいろいろと喋る。
いつもパンをかうお店の前を車で通っただけで「あっ!パンパン!」あるいは、以前バスが停まっていたところを通りかかると「バスいたね〜」あるいは「ちょっといい?」{ちょっとどいて」など。

妻が保育園の先生に聞いたらしいのだが、水道の蛇口が上をむいたままになっていて、その影が地面だか壁にうつっているのを見て、「あ、ぞ〜うさん」と言ったらしい。

蛇口の影を象として見たり、過去になにがあったとかいう事を言ったり、明らかに、カテゴリー化能力というか認識の構造のようなものが出来てきている気がする。ものの名前等を一つ一つ覚えていくなんてことは、そうした構造があってのことで、きっと表面的なことにすぎないのだろう。