朝、ぼっちゃんの連絡帳に「くすりを持たせていますので、お昼に飲ませてください」と書いておきながら、くすりを持たせるのを忘れた。

メルロ=ポンティの「マキャヴェリ覚書」という政治論エセーをすこし読んでいると、「そもそもマキャヴェリ読んでないな」と思って、ゴソゴソを棚を探してマキャヴェリの『君主論』(中央公論社、世界の名著21)を見つけて読む。最初の解説で大体の時代背景やマキャヴェリの生涯などをおさえてさっそく本文に入る。意外と面白い。それにしても、マキャヴェリというと陰謀をめぐらし、目的のためには手段を選ばぬ・・・なクールかつグログロ策士というイメージしかなかったが、けっこう熱い。

もちろんそういう力技=力量(ヴィルトゥ)も必要だが、人智を超えた自然的な力=運命(フォルトゥナ)に従わなければことは成し遂げられない。つまり、人心掌握だとか、謀略だとか、徹底して合理的な政治技術を思考しながらも、そこに運命という要素を必要不可欠にしているのが、なんだか面白い。このあたりはなんだか微妙で、では結局のところ運命論的決定論かというとそういうことはなくて、「私は、用意周到であるよりはむしろ果断に進むほうがよいと考えている。なぜなら、運命の神は女神であるから、彼女を征服しようとすれば、うちのめしたり、突き飛ばしたりすることが必要である」(25節)と、そんな打ちのめしたり突き飛ばしたりって、あんたそりゃちょっと・・・な感は否めないが、とにかく棚ボタなんか待ってないで、とにかくゴイゴイいこうぜ!なノリだ。
だんだんマキャヴェリが「気合だ!気合だ!」のアニマル浜口に見えてきた。
ただし、ヴィルトゥはあくまでvirtu(美徳)であり、とにかく何でもありだとは言い切れないところが微妙だ。

七時半から妻が会議だというので、ぼっちゃんとうどんを食べに行く。

夜の九時半ごろ、会議から帰ってきた妻がまだ夕食を食べてなくてお腹がすいたというので、スーパーに弁当を買いに行く。ぼっちゃんも行くというので、2人で車でスーパーにGO!
みかん(大量)が一袋358円だったのでついでに買う。以前にも買った、サイズもバラバラ、見た目もちょっとだけ難ありのものの詰め合わせだ。

でも、夜も9時を過ぎて、人気の少ないスーパーに子どもを連れてきてしかも惣菜を買っていくって、なんだか家で家事をせず、いつも子どもに出来合いの惣菜を食べさせて、しかも夜更かしさせているという、或る意味でパパママがターゲットの育児雑誌的にはかなり難ありな親のようだ。
でもいいではないか。多少見た目に難ありでも、みかんは美味しいかったぞ。