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きょうは絵本の日(週に一回、図書館の日がある)ということで、すんなりと車に乗ってぼっちゃんご出勤。よく考えてみれば、2歳児にして何処に行くにしても専属運転手の送迎つきという生活なのだな、ぼっちゃんは。
ついに、いつか借りるだろう、きっと君は大好きだろうという本を借りてくる。
- 作者: 渡辺茂男,山本忠敬
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1966/06/10
- メディア: 大型本
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お話の中には「じぷた」のほかに救急車の「いちもく」さんという方が出てくるが、もちろんケガ人が出れば「一目散」に病院へと送っていくということだろう。ひらがな表記なので最初「いちげん」さん(一見さん)かと思っていたが、たしかに救急車に乗るのは常連ではなく一見さんであることに越したことは無い。
今日も寒かった。走りに行った町営グラウンドはまだ雪が残っていて些か走りにくい。一周あたりいつもより遅め5分ほどかかったので、一時間でグラウンド13周6キロ強というところか。ボルヴィックの空き容器を再利用した水筒(中身は水道の水。といっても裏山から湧いているので一応ミネラルウォーター)で水を飲んでいると、いつも一緒になる養護学校の生徒さんに「アッ!ボルヴィック!」と言われる。裏で「ボルヴィックのおっさん」なんて呼ばれてるんじゃないだろうかと不安になる。
天気は良く、陽も差していたので溜まっていた洗濯をする。するとみるみる空が暗くなって雪が降り出す。
そういえば、雪が降り出すとCDプレイヤーの調子が悪くなる気がする。
ドゥルーズ『カントの批判哲学』を読む。なんか、すごい読みにくい。もしかしたら原文で読んだほうがわかりやすいんじゃないだろうか。文中、「想像力」という語がやたら出てきて何だろうな?と考えていたら、ああ、「構想力」Einbildungskraftか!と気づく。
学生時代に買った本で、当時、友人とこれをネタに読書会をやろうとか言ってたんだけれど、実際にやったかどうかは記憶に定かではない。だから買ったっきりでまともに読んでない本がここにもあったか・・・と思って本を開くとあちこちに線が引いてあって、いろいろ書き込みしてある。確かに自分の字だ。しかもけっこう終りの方までしっかり線引いてる。でも内容は全然思い出せない。たぶん当時も気合で読んだのだろうが、いかんせんカント愛が足りなかったのだろう。今は足りているのかと聞かれるとちょっと困るが。
その他、ヘーゲルとの関連でドイツ観念論の流れやカントの超越論的演繹についてノートをまとめる。
合間にエスクァイアを眺める。アファナシエフのインタビューが意外と収穫だった。
リメンバランス、記憶、思い出・・・それは私の師匠である(エミール)ギレリスがよく使っていた言葉だ。日々の生活だけでなく、"美"というものを考えるとき、過去=思い出は重要になってくる。決して古いことにこだわるという意味ではないよ。過去は私たちの基礎にあるものだ。(p.98)
確かに、少なくとも僕は、何かを目の前にして心が震えるとき、それは最先端の新しいものでというよりは、記憶や思い出に訴えてくるものである場合が多い気がする。もちろん、前者にはそれなりの価値もあるのだろう、熱狂とか、斬新さとか・・・・。過去といっても、自分の固有の記憶であるとは限らないかもしれない。もちろん、それが最低限のベースになることには変わりないのだろうけれども、たとえば、道路の隅に溶け残っているカチカチになった雪とか、霜柱を踏んだときの感触とか・・・。
アファナシエフのバッハ:平均律クラヴィーア曲集は、夜中に聴いていると夜想曲のように聞こえる。