今日は妻が残業のようなものと、そのあとの反省会という名の飲み会ということで、夜はぼっちゃんと2人っきり。お風呂に行き、テレビでどうでもいいところにムダに金をかけた原田大二郎の別荘のテレビを見ながら鳥雑炊。最近、ぼっちゃんと2人でご飯を食べるときはこればっかしだ。床暖房だけで500万ってあんた・・・。あと、大元の電源が外にあったり、外の風景を見ながら入れるデカイ風呂にお湯がたまるまでにとりあえず身体を温めておくために併置されたユニットバスって何だよ?

ぼっちゃんがあまりに気に入っていたので、生協で毒餃子ではなく『しょうぼうじどうしゃじぷた』を注文。そうしたら、今日届いた。ぼっちゃんにとっての「マイ・じぷた」だ。

毒餃子で思い出したが、それでもやっぱり餃子が食べたかったので、久しぶりに作った。一日目は26個作ったところで餡がなくなったので、夕飯ではそれをすべて水餃子で完食。
次の日、皮があと4枚残っていたので再び皮を買ってきて餃子を作る。一袋30枚入りだが、今回は餡を作りすぎてしまって、途中で皮を一袋買いに行く。結局全部で50個ほど作った。その日のうちに半分を焼き餃子で食べ、残りの半分は冷凍。毒無し自家製冷凍毒餃子完成。それもまた何日か後に完食。

話は戻って、夕飯を食べた後、布団を敷いて横になり、『しょうぼうじどうしゃじぷた』を読み聞かせ。じぷたが出動したあたりでだいぶ眠くなっているぼっちゃん。もう一冊、働く自動車の図鑑を見ているうちにすでに朦朧。電気を消して背中をトントンしているとそのままご就寝。

やれやれ、と思っていると急にお腹が痛くなる。下痢。なんか変なもの食べたかな?


読書術 (岩波現代文庫)

読書術 (岩波現代文庫)

パソコンが立ち上がるのを待っていたり、ちょっとした隙間の時間を利用して最近よく読んでいる。昔、高校生か大学一年生の頃に一度読んだが、そのとき持っていた本はすでに紛失。今手にしているのは町のゴミ焼却場に捨ててあったカッパ・ブックス版である。この著者の本は、やはり高校生か大学一年の頃に『羊の歌』とか『現代ヨーロッパの精神』なんかを読んだ記憶がある。或る意味、このときの自分にとっての、「こうあるべき」的なロール・モデルだったのかもしれない。だとすると、その頃に比べてずいぶんと退嬰的というか、軟弱になったなぁ、オレ。
「一日一冊主義」とか、「本を読まない『読書術』」など、ぜんぜん内容は覚えていなかったが、あらためて読むと面白い、というか、なるほどなぁと思うことしきりだ。

真贋

真贋

図書館の本。なんとなく目に入ったので。

あと、カントの『プロレゴーメナ』を翻訳で。この本は位置づけ的には『純粋理性批判』の第一版が出されてすぐに書かれた、いわば批判哲学の序論、レジュメといった感じだが、本家の『純理』と比べると、カントのお喋りとか講義を聞いているような、そんな趣きがある。もちろん内容は決してやさしくはないのだけれど。


今日も一日アファナシエフショパンを聴いていた。CDプレイヤーの不調は寒さが原因かもしれないと思い、効果の程は不明だがプレイヤーを毛布でくるんだ。。確かにこのところの寒さはメーカーの想定している使用状況をはるかに越えているだろう。