今日はどうも朝からぼっちゃんと波長が合わなかった。お互いの方向性が違うというのか・・・。そのうえ朝から僕のほうが気分も低調。身体もだるくて、昼からは「きかんしゃトーマス」のビデオを観ているぼっちゃんをほったらかしで、いつのまにか寝ていた。そこだけ見るとなんだか虐待親みたいだ。

午前中は川岸でアヒルにむかって叫んだり、岩の上を飛び降りたり、行ったり来たり。水に落ちないようにとこちらもヒヤヒヤだ。そのあと、集合保育が行われている保育園の近くを通ると、ぼっちゃんの名を呼ぶ女の子たちの声が。しかし、ぼっちゃんは遭遇した猫に夢中でそれどころではない。猫はぼっちゃんから逃げられないぐらいに年寄りだった。

小学校のグラウンドでおんなじぐらいの歳の女の子と遊ぶ。女の子が持ってきた車に乗りたがって、泣くぼっちゃん。


木曜日(6日)は朝から館長の自宅へ。いろいろと高いところへ登ったり、力仕事があるかもしれないということで、僕とぼっちゃんも妻に同行。ぼっちゃんは畑のほうれん草や大根を引き抜かせてもらったり、漬物をもらったりしていたが、途中で眠りにおち、館長んちの居間で熟睡。

館長との会話の中で、何となく会話が切れたので、雪が降るときは必ずといっていいほどCDプレイヤーが調子悪くなる、普段はぜんぜん問題ないのだけれど、というような冗談のような話をしたら、帰り際、コンポをくれた。CDチェンジャーやMDもついている。なんだか、せびったような形になってしまって、申し訳ない・・・。


プラトン『国家』上下巻読了。

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

途中、熱を出して寝込んだために中断を余儀なくされたが、もし体力があったら、2〜3日で読めたと思う。もちろん、専門外だし、これで論文書くことないだろうなという気軽さもあったが、難しい話は抜きにしても、文学作品として圧巻だった。
書いてあることについてはだいたい概略として知っていたつもりだったが、最初から最後まで、とにかく一気に読んでみると、とにかくすごい破壊力だソクラテスは。ニーチェはやたらとソクラテスプラトンを槍玉に挙げて批判しているが、それは単に「あいつらは駄目な奴らだ」ということではなく、戦わざるをえないほど恐ろしく破壊力のある敵だということだ。途中、何度もニーチェそっくりの言い回しがでてきて、それも驚きだったが、よく考えれば、ニーチェがそうした言い回しをあえて使わざるをえないほどに、ニーチェにとっても大きな存在だったということだろう。

現代的な視点から見ても、哲学に関する重要な問題はすでに出揃ってしまっている感を受けた。それはともかく、問答の中でいちいち、「ところで例の件だがね」「ええ、もちろんです」というやりとりがなされて妙に笑える。「もちろん犬に誓って」とか。ときどき「ええと、忘れていました」とか出てくると、お前が忘れるなよーと思う。それにしても、哲学者はずっとこの時代からすでに、なんだか訳のわからないことを言うろくでなしだと思われていたのだ。


続いて読んでいるにはルソーの『社会契約論』。カントの同時代人ということで読み出したがやたらとプラトンの『国家』がフラッシュバックしてくる。解説を読むとルソー自身、若い頃に読んだ『国家』にすごく影響を受けているらしい。意外なところでつながった。
以前、ルソーで論文を書いていた人が「ルソーが『自然に帰れ』と言っているように・・・」と言っていたが、厳密には、ルソーは「自然に帰れ」という言い方はしていないらしい。むしろルソー批判者がルソーを揶揄するときの表現だったようだ。