バタバタと論文の準備。あれも読まなきゃ、これも読まなきゃというのはいつものこと。

これから学会誌に載せるために書き直さなければいけない元の原稿を読んで、ちょっと凹んだ。こりゃ・・・やばいだろ。よくもまぁ掲載決定されたものだ。

これとは別の論文のことがだんだんモヤモヤと頭の中を占めてきているのだが、それはそれとして、とにかく目の前のことをやろう。


誰にでも「あ〜っ、この事柄をAという場合で試したら・・・あるいはB,もしくはCで・・・」と考えだすといてもたってもいられなくなることってあると思う。

たとえば、「ベルリン・フィルの常任指揮者って、ラトルの前がアバドで、その前がカラヤン、その前がフルトヴェングラーで・・・・、確かその前がニキシュっていう人だったよな・・・。あ、でもオレって、そのニキシュっていう人の演奏聴いたことがないな・・・。あ〜っ!気になる!」という感じだ。

ちょっと違うかもしれないが、とにかく、聴いたことがない録音を聴きたくなったり、「この曲をフルトヴェングラーならどんなふうに料理するんだろ・・・」なんて思ったときに重宝するのがこれ

ほかにも、有名な曲だけど、通して聴いたことがないなぁ、とかいうときも便利だ。

上で触れたニキシュの録音も聴けるのだが、録音自体は1913年。第一次世界大戦前の録音なのでノイズも盛大で、こういうSP復刻音源に慣れていない人には耐えられないかもしれないが、注意深く聞いているとなかなか端正で覇気あふれる演奏。
著作権保護期間が過ぎてパブリックドメインになった録音ばかりなので、みんな50年以上前のモノラル録音だし、ファイル自体も128kbpsのMP3だから(通説では、クラシックに関しては196kbps以上が好ましいとされている)、それほど高音質とはいえないだろう。でもパソコンで聞いたり、家庭用の一般的なオーディオで聴くには特に問題は無いのではないだろうか。

もちろん、特にフルトヴェングラーに関しては、いろんな会社のいろんな方法によって、「うちの復刻こそ音質最高!」とばかりに、同録音が何種類も市場に出回っている。そのような技術的な発達によって、フルトヴェングラーの演奏に新たな光が当てられ、クラシック・ファンが増えていくことは大変よろこばしいことだと思うが、はっきりって、こういうフルトヴェングラー・ビジネスには、最近ちと食傷気味だ。

もういちど繰り返すと、音質自体は、絶対に商品としてCDショップに売られているもののほうが良い。絶対に。当たり前だ。

演奏や解釈に関しては、有名な人だろうけど今日的視点からみると技術的にイマイチだとか、時代錯誤だとか、そう言いたくなる人もいるかもしれない。それは認める。

でも、それはそれとして、あの曲、ちょっとかじってみたいな、というときにはとても助かる。モーツァルトに関してはワルター・バリリのヴァイオリン・ソナタ集やギーゼキングピアノソナタ全集が聞けるし、ピアノ協奏曲27番のバックハウスの音色はやみつきになる。ベートーヴェンピアノソナタ全集もバックハウスやイーヴ・ナットで聴ける。フルトヴェングラーの指揮するモーツァルト交響曲39番の冒頭の和音なんて、「ドン・ジョバンニの地獄落ちか!」とつっこみたくなるほどの迫力。そして何よりフルヴェンのシューマン交響曲4番!
古楽奏法?そんなのほっとけ!

あと、一番の収穫はブルーノ・ワルターを再発見できたことだ。どうも人の良い、温和な音楽ばかりやるひとのように思っていた(つまり、ヌルい音楽だなぁと思っていたということだ)。しかし、アメリカ亡命以前のヨーロッパでの録音をたくさん聴くことができて、すっかりこの人に対する認識を改めた。うたごころの中にも厳しさがあり、しかし、冷たくなりすぎず・・・もしかしたら、ただ単にそういうものがいいなぁと思うような年齢に僕がなってしまったということかもしれない。