6月15日(日)
ぼっちゃんと2人で父方のじいちゃんの見舞い。2人きりで片道約二時間の長旅なんて、もしかしたらはじめてかもしれない。町内一周一時間のベビーカーの旅や、待ち時間1時間、乗車時間5分のバスの旅なら今までにもあったが。
とにかく、小さい子ども連れにとって雨はいつになってもつらい。傘を持ちながら、荷物を持ちながら、ぼっちゃんを抱っこしながら、しかも風が強い・・・。最初の頃にくらべると、だいぶ慣れたが、要領が悪いとほんとうに発狂しそうになる。「(男なのに)子どもの世話なんていい身分だな」とぬかしたあのクソ野郎にはきっとこんな経験はないだろう。

病院では救急ヘリコプターが下りてくるところを目撃。そしてヘリポート(というのだろうか?)へサイレンを鳴らしながら向かう救急車・・・。そんな救命救急24時のような光景をぼっちゃんと父の病室から眺める。

父もずいぶん元気そうで安心した。ぼくらが昼食がまだだったので、散歩がてら一緒に食堂まで行って、ぼっちゃんはうどん、ぼくはカツ丼を食べる。父はもう昼食を食べたあとだった。本当はカツカレーを注文したのだが、なぜか出てきたのはカツ丼だった。まあいい。そういう巡り合せの日だったのだろう。

ぼっちゃんっはじいちゃんとそうやってエレベーターを使いながら院内を散歩したり、いっしょにぶどうを食べたり、外の工事現場を眺めたり、なんだか楽しくなってテンションが上がりっぱなし。でも、3時をまわり、父もそろそろ病室にもどって横になりたくなったので、僕らも失礼することに。やっぱり寂しくなってしまうぼっちゃん。駐車場に向かうまで、何度も「じいちゃんは?」と聞いてくるぼっちゃん。

6月16日(月)
午前中は妻の職場の力仕事の手伝い。重い(実際はそうでもない)荷物を持って何度も階段を上り下り。昼食は職場の方々と●しゃんへ。まっ昼間から彦しゃ●なんて、なんと幸せな・・・。ここは伏字にしとかないとある方面に存外なダメージを与える可能性がある。

力仕事は午前中でだいたい終わったので、洗濯や家の片づけがあるので、店の前で別れて、帰宅。だんだんと天気も良くなってくる。力仕事でスイッチが入ったのか、ぼっちゃんの迎えの前に、ジョギング。久しぶりだったので軽く20分程度、3キロほど。

最近、論文のことで、どうも気持ち的に閉塞しているような気がしていたが、走り終わってみると、どれだけ自分がふさぎこんでいたかわかった。ものすごく視野がクリアになったのは、メガネを拭いたからだけではないはず。かといってすぐにサラサラと書けるわけではないのだけれど、いわゆる「取り越し苦労→鬱」的スパイラルにはまり込んですっかり身体も頭も重くなっていたのがすこし少しスッキリした気がする。

今書いているものは、ちょうど一ヶ月前に書いたものが「あることがらについて、Aという事象があるけれども、実はBという事象もあって、Bというところから論じるに・・・」というものだったが、こんどは「で、確かにBという事象があるのはわかったんだけど、そもそものAという事象は・・・」という真逆の方向で書こうとしているのだろう、たぶん・・・。


最近の読了本。

ひさしぶりに長編小説をガッツリ読んだ。

また会う日まで 上

また会う日まで 上

また会う日まで 下

また会う日まで 下

父の不在、その父を探す旅、母そして女たちの中での幼年時代レスリング、下ネタ・・・。あいかわらずのアーヴィング節。いつも読みながら笑ってしまうのだが、今回はどうしても物語中の父の視点に読みながら自分がシフトしてしまった。

それにしても、自身も刺青師で伝説的刺青師を父に持つ母、体中にバッハやヘンデルの楽譜を刺青しながら彷徨う名オルガニストの父という設定は、読まずにいられなかった。