ぼっちゃんが保育園に行き、妻もすこし腰が(関節が)痛いので今日は一日横になっておくということなので、一人で図書館に行き、しばらく外国語文献のあどを読む。途中、近くのマックで昼食。せめてドトールぐらいあったらいいのだが。

図書館へ歩いていく道すがら、そういえば子どもの頃、歩く時はいつも下向いていたなと、どうでもいいことを思い出した。だから、子どもの頃はよく物を拾った。千円サツのこともあれば、怪獣の消しゴムや、ビー玉だったこともある。親や大人には「しっかり前向いてあるかんと車に轢かれるぞ」と言われてたが、やはり下を向いて歩き続けていた。真正面をしっかり向いて歩くなんて、そんな恥ずかしいことできない。

でも今日、しばらく下を向いて歩いてなかったんじゃないかと思った。たとえばぼっちゃんが生まれて、ぼっちゃんと散歩している時に自分だけ下を向いて歩くわけにはいかない。前後左右、全方位的に視界を展開しながら歩かなければならない。いつから下を向いて歩かなくなったんだろう?別に真正面をしっかり見て歩けるほど立派になったわけではないはずだ。絶対。

下を向いてブツブツ言いながら歩いて、ときどき変な物を拾って・・・。いつの間にかそんなことをしない大人になっていたんだな、と思った。これは成長だろうか?劣化だろうか?いくぶん後者な気もしないではない。

劣化といえば、最近、モウソウや空想が長続きしない。いつのまにか論文の構成だとか、修正箇所のことだとかに思考がシフトしてしまっている。いつシフトしてしまったかもわからない。気づいたらいつのまにかシフトしてしまっていた感じだ。いままで何の空想をしていたのかも思い出せないときもある。ただでさえ無いに等しい創造性すらこうやって錆付いてしまうのだろうかと思うと、一瞬怖くなる。