寒い国に帰ってきてから、なるべく自炊している。というか、どこにも食べに行ってないから、ほぼ自炊していると言っていいだろう。

宮崎の妻の実家にいるあいだ、ほんとうにありがたいことに、朝・昼・晩とちゃんと食事することができた。もちろん、結婚してからもずっとそうだったのだけれど、実の親にもここまで食事の世話をされたことないなと、ふと思ったが言いすぎだろうか。たぶん言いすぎだ。僕の子どもたちも大きくなって、「親にはあまり世話してもらえなかったなぁ」と言うかもしれないが、たぶんそれと似たような甘ったれた感傷にすぎないのだろう。

規則正しく3食食べていた反動から、こちらに帰ってきて、あまりものを食べなくなった。帰ってきて二日ぐらいはほぼ絶食状態。前回の日記に書いたオバマ大統領就任式当日の激しい腹痛と下痢はそのあたりと関係があるのかもしれない。

しかし、さすがに手足がブルブル震えてきたので、久しぶりに自分でご飯を炊いて、味噌汁も作った。JAに行って野菜を買い、スーパーで、牛乳に卵、ベーコン、賞味期限切れで半額になった納豆も買った。卵とベーコンがあるだけでだいぶ料理の幅が広がる。

ひさしぶりにジョギングで汗も流した。小雨が降っていたけど、とにかく走りたかったので、1時間半ほど走る。

お風呂に行くと久しぶり会う人達がいる。ウニャ子が生まれたことをいろんな人に報告する。

今日の夕飯はご飯にほうれん草とタマネギと人参と揚げの味噌汁、ベーコン・エッグ。なんか朝食にたいなメニューだ。

メルロ=ポンティの『ヒューマニズムとテロル』の一節。

<革命>がやがて暴力なき社会を生み出すとしても、今日革命的暴力が粉砕しているところの人々―その各々が自分にとってのひとつの世界を有している―にとっては、革命的暴力は絶対的な悪である。未来を生きることになる人々がいつか成功を語ることができるとしても、現在を生きていて、「それを跨ぎ越す」ことのできない人々は、挫折を確認することしかできない。(p.157)

ヒューマニズムとテロル (メルロ=ポンティ・コレクション 6)

ヒューマニズムとテロル (メルロ=ポンティ・コレクション 6)