読書

森博嗣有限と微小のパン』読了。

「方程式を組み立てる。あとは、コンピュータが解いてくれる。答えを求めることは、計算と同じで、高等なレベルの仕事ではないんだ。いつも言っているけれどね、人間の能力とは、現象を把握すること、そしてそれをモデル化することだ。現象と現象の関係を結ぶことだよ。それはつまり、問題を組み立てる、何が問題なのかを明らかにすることだ。それができれば、もう仕事は終り」(p.495)

ミステリや推理小説関係をほとんど読んだことのない自分のために(つまり何のために?)その種の世界も一応経験しておこうと読み始めた森さんの本。初期のシリーズ(ファンの間ではS&Mシリーズと呼ばれているらしい。もちろんサド・マゾの略ではない。)10作をこれですべて読んだことになる。一応、登場人物や世界観はどれも共通していて、どれから読んでもいいことになっているらしいが、第一作『すべてがFになる』を最初に読んで、途中は順番は適当だったけれど、でも最後にこの10作目を読めて良かった。有限と微小のパン (講談社ノベルス)
森さんの小説には例えば菊人形の首がほんとうに人間の生首に変わっていたり、湖面に人間の足が二本ニョキっとでているとか、断崖絶壁の上にコートを着て立っているとか、そういう「いかにも」な描写はなく、存外カラッとしてるのが自分の性にあっていたのかもしれない。犯人が捕まって、動機は?ということになっても、言葉にすればそういうことにもなろうが、本人にもよくわからないだろう、特にここに書くこともない、ぐらいにサラッと流しているところも個人的には好きだった。
初めて読むと理系っぽい記述が出てきてうわーと思う人もいるかもしれないけど、僕は逆に新鮮で、いままで使わなかった脳の部分を使っている気がして心地よかった。いろんなところで何回も言ってきたけど、僕って意外と理系なのかもしれない。
でも、真面目で古風なミステリファンのなかにはすごく森さんの本が嫌いな人、アンチも多いのではないか、という気もする。もちろん、ミステリ界のことはあまりしらないので推測にすぎないのだが。

「人間の意識は、どこにあるのですか」萌絵は思わず質問した。口に出してから不適当な質問だと思った。
「その質問に対する答えはこうだ」犀川はちらりと横を向いて微笑んだ。「どうして場所を限定しなくちゃいけない?意識を存在する場所を限定しようとする行為が、意識を物質化している。それは間違いだ。西之園君、君は何が好き?」
「先生です」
「食べ物で」

(p.456)