上司との雑談の中で、実のところ、俺たちって政治に興味ないんだよね。でもね・・・というところに落ち着く。

そう。問題は「でもね・・・」なのだ。

politicsの語源がギリシア語で都市を意味するpoliであることからもなんとなくわかるとおり、市民であること、共同体の一員であることと政治的であることは切り離しえない。ある社会に生きている以上、政治的でないということはありえない。ここで政治的であることの意味は、ある共同体の中で或るポジションを選択するということである。選らんことから生じるメリット、デメリットも含めて。

政治的中立?
同じことである。それは政治的中立という政治的立場を選択しているだけであって、十分に政治的である。から、「自分は政治は関係ない。どのような立場からも自由である」というやつがいるとすると、正直、「こいつ馬鹿か?」と思ってしまう。そんな自由あるわけないではないか。

しかし、さっき自分は「政治的であることとは何らかのポジションを選ぶことである」と述べたが、それは自らの意思で「自由に」選んだのだろうか?

ホッチキスは意外にも実はひそかにスピノザ主義者なので、自由意志というものについては懐疑的である。
だとすれば、選んだというよりも選ばされたというべきだ。

誰に?

しかし、このような政治的選択に受動的態度を持ち込むと、「責任」という概念が向け落ちてしまう危険がある。それとも、自らに有責性が無い選択に責任を負うということが政治的であるということだろうか。