sniff2011-08-21


前回からだいぶ間があいてしまったが、八月も半ばすぎ、記録として。

7月の終わりに町内の夏祭り。やっと見つけた空席のテーブルを見つけ、子どもたちはかき氷、大人はビールを飲みながら祭りの賑わいを楽しむ。
すると、長男坊の同級生(保育園は別)のYちゃんが浴衣姿で近くのテーブルに座っており、長男坊の名前を呼ぶ。

このYちゃんはわれわれ夫婦のあいだでは「魔性の女」と呼ばれており、本人がどう自覚しているかどうかはともなく、彼女に関わった男子はみんな彼女のことを好きになってしまう。その威力はすさまじく、男子どもに「オレはそうでもないけど、Yちゃんはオレのこと好きなんだよね・・・」などと一週半回転したセリフを吐かせるほど。もちろんうちの長男坊も例外ではない。


Yちゃんが移動していなくなったあと、長男坊は「お母さん、初恋って何?」と訊いていた。

非常勤も無事終了。とりあえず任期は夏休みが開けて後期が始まる9月までだが、実質、授業はすべて終了。あとはレポートの採点だけ。

2年目ということでいろいろと欲も出て、やりたいこと/できること/できないことの渦巻きにぐるぐると巻き込まれたが、これまでの自分そしてこれからの自分を見つめなおすよい機会だったと思う。

授業が終わって学生と飲むのもやっぱり楽しい。あと、最後の授業が終わった後、一人の学生と話していたら、僕が以前いた職場の上司の息子さんの学校の後輩で、寮も一緒だったことが判明。世の中って狭い・・・。


そして、昨日、父の初七日の法要も無事におわった。
7月の終わり頃に入院したとき、主治医の先生からはっきり言って先は長くないということは聞かされていたが、それでもあまりに急なことだったし、通夜や葬儀や喪主や、その他諸々いろんなことがありすぎて、いまいち父が死んだということがよくわからない。

まだ意識がはっきりしているうちにお盆を自宅で過ごしてみたらどうかという主治医の提案で、一泊二日の予定で父は一時外泊することになった。僕らの家族や妹と彼女の婚約者、そして母まで集まって食事をし、みんなで記念撮影もした。入院直後は病気の影響か環境の変化によるせん妄かはわからないが、会話がなりたたなかったり、昔のことを急に話したり、時系列が混乱していたり、時には、いま病院にいること、そして息子である僕のこともわかってないのではないかというときもあった。しかしその日は午前中、病室に迎えに行ったときから明らかに意識も記憶もはっきりとしている様子だった。

レストランで食事中、うちの長女ウニャ子の食いっぷりを「よく食うなあ」という顔で見ていたと後で妻から聞いた。みんなでレストランのテーブルを囲んだあと、いったん家に父を連れて帰った。すこし疲れたのかすぐに寝てしまったが、妻の話では、ときおり目をさまして、ベッドの近くで遊んでいるウニャ子をわずかに動く足や手であやしてくれていたらしい。父の容態が急変したのは夕方だった。

父が死んだということ、これは紛れもない事実だ。でも、人生の最後の日に、家に帰れたこと、孫や娘の婚約者も含めて家族みんなで集まることができたことは、父にとってはとても幸せなことだったのではないだろうか。残された家族にとっても、最後の日にみんなで過ごせたことは、これからもずっと、大事な記憶になるのではないかと思っている。