もしこの世界の中にささやかだけれど小さくて善いことが確かに存在し、時として人間というちっぽけな存在がそんなささやかな存在に出会うこと瞬間というものに恵まれたとするならば、その出会った存在がどんなに小さくてささやかであったとしても、それを僥倖と呼び、至福と呼んでもいささかも間違いではないはずだ。

うちの長男坊。大好きなコロコロコミックを読みながら眠りに落ちていた。これもまたこの世界に存在する至福の一つであるに違いない。

開かれていたページには「死ねー!」「ペチャンコー!」と、まさに少年マンガ的語句。

それにしても、マンガを読みながら眠る姿は、とても他人とは思えない。そんなわけで誕生日おめでとう。いまのところ頭の中の90パーセントはイナズマイレブンデュエルマスターズベイブレードガンプラと、コロコロコミック的教養で占められている君も今日で6歳。最近いっしょにファーストガンダムガンダムエクシアのプラモデルを一緒に作り、一緒にコロコロコミックや「ナルト」や「よつばと!」を一緒に読んだりしていて、そういえば自分は父親と一緒にプラモデルを作ったりしたことあったかな?と考えたが、「一緒にプラモデル」はなかった気がする。そんな自分が父親になって自分の子どもと一緒にガンプラを作っているのはなんだか不思議な気がする。

ネットの世界ではときどき、子どもの頃を懐かしんで「もうあの頃には戻れない・・・」的な悲壮感に包まれた言説をみかけるが、結婚し、子どもが生まれ、彼らとともに過ごしていると、思いがけなく自分の子供時代が蘇るときがある。うまく言えないが、子供のときの「記憶が蘇る」のではなく、文字通りそこに自分の子供時代の感触が現れる、まるで自分の子供時代を「生き直している」感覚に陥る。

とはいえ、だからといって記憶が変質するとか、Aの出来事がBの出来事になるとか、そういう変化があるわけではない。ただ、自分が好きだったこと、大事だったこと、恐れていたこと、そうした初期値を子供たちの姿を見ることを通じて生き直しているような感覚がそこにある。

だから、これからももっとコロコロコミック的教養にどっぷりひたった君を見ていきたいと思う。


長男坊はベイブレードを手に入れた!