昨年の前半は4月後半まで前の職場の引継ぎや総会の準備でてんやわんや、それと平行して大学非常勤でてんやわんや、後半は父の入院、父の死も含めて葬式にはじまり四十九日、各種税金や保険関係、それに付随する戸籍に関係する書類を取り集めるなど、思いがけず忙しかった。

9月にはウニャ子が豆電池を飲み、11月は妻が仕事量増加に加えて泊まりの出張が多く、そのため家の中の仕事が忙しかった。僕が食事を作ることが多かったため、子どもたちが少し痩せてしまった。

音楽についても、ほとんど音楽も聴いていないというか、聴いているけれども以前ほど拡がりをもたない聴き方というか、新譜やお買い得輸入版をあさって聴くといった聴き方はできなかった(これは歳のせいかもしれない)。
3月の震災直後は特に何を聴いていいかわからなかったが、バッハやベートーヴェンブラームスなど、古典的で堅い音楽を聴いていた気がする。日本中が揺れる中で何か確かなものにすがりたかったのかもしれない。

父の死後は自分が何を聴きたいのか、そもそも何か聴きたいと思っているのかわからなかった。そんな中でよく聴いた(聴くと言うよりCDプレイヤーで再生していた)部類に入るのはAlva Noto + Ryuichi Sakamotoの『summvs』だ。

Summvs

Summvs

教授のピアノ即興演奏に、もともと庭師をしていたアルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)がコンピューターで作った音響を合わせていくというデジタル×アナログなアルバム。
どの資料も庭師としかかいていないのでどういう意味での庭師なのかはわからないが、日本建築や日本庭園にも造詣が深いらしく、そういわれてみればかすかなホワイトノイズ、クリック音、パルス音などで構成されたそのミニマムな音響は、禅的な雰囲気を漂わせているといえなくもない。
教授の参加しているアルバムだからといって戦メリのような旋律のある曲を期待していると「?」となってしまうかもしれない。とはいえ、旋律的なものが一切無いわけではなく、ブライアン・イーノの「by this river」が二つのヴァージョンでカバーされている。
アルヴァ・ノトのエレクトリカルな音響にしても、教授のピアノにしても、なるべく小さな声で、ささやかに、音数少なく、それらが点と点がつながって線を作り、線が面を作り出すように、静かに広がっていく。

15の夜に盗んだバイクで走り出す無茶ぶりもなければ、逆にシニカルな諦観もない。中学の頃はこういうアンビエントな音楽というものは全く理解できなかったが、こういう音楽がこの世界に存在していることを知り、それを耳にすることができるようになったのは、これまた僕が歳をとったからだろう。そう考えると歳をとるのも悪くはない。

父が死んで少しのあいだ、モーツァルトのくるくる回るような愉悦も、ベートーヴェンの強力な弁証法的音楽も、なんだかピンとこなかった時期、このアルバムのように特に何かあるわけではないが何かが何かとして確かに存在するような音楽を聴くことが多かった。というか、父の死がそこに影響していたかどうかさえ、今になってみるとわからない。欲しかったのはこのような風景のような音楽だったというだけかもしれない。そうえいば山の中にある僕の町、僕の家の周りにはとても合う音楽だという気がする。とりあえず昨年2011年は僕にとっての「アンビエントミュージック元年」といっていいだろう。