きのう指導教官の先生から連絡があり、教授会で正式に博士論文が承認されたとのこと。これで一応、Ph.Dを名乗ることができる・・・のか?っていうか、おれがPh.Dを名乗っていいのか、今更ながら自信がない。

しばらく間があいたので憶えていることだけメモ。

2月28日(火)
博士論文口頭試問当日。開始は午後というか、ほとんど夕方からなので、当日になっても待ち時間(緊張状態)が長いというのがつらい。車で学校へ向かうあいだ、口頭試問の冒頭で述べる論文概要を声を出して一人リハーサルしようとしたが、緊張しすぎて声がでない。というか口が動かない。まだ朝の10時。早くついたので駅周辺で昼食。久しぶりに入った店だったが、「こんなに明るい雰囲気の店だったか?」と妙な違和感。もっと薄暗い店だった気がするが。ちょうどランチタイムで、どこかのOLさんの隣のカウンター席でメモや原稿をチェック。
いざはじまれば、あとはとにかく流れに乗って質問に答えたり謝ったり・・・そうしているうちにあっというまの2時間。講座の先生方4人プラス講座外の先生1人の計5名対ホッチキス1人の口頭試問はホッチキス1人の完全消耗という結果に終わる。とはいえ、今思い返せば、第二章が一番面白かったけどもし書籍化を考えているなら第一章はかなり手を入れたほうがいいとか、なるべく僕の論文の良いところを無理やり見つけてくれるような感じでありがたかった。死ぬまでつるし上げられると思っていたので、ほんとうに良かった・・・。ありがとうございます。
その後先生たちと飲み屋へ移動して簡単な慰労会までしてもらった。先生に「一番の功労者は奥さんだということを忘れんなよ!」と念を押された。
これまで小中高・大学・大学院と、人より多めに学校に通う人生だったが、その中でどうかんがえても僕より能力の高い人(もちろん能力をどう定義するかが問題だが)が数多く存在した。「どうがんばっても彼らのようにはなれない」と自らの能力のなさにうんざりするしたことは数しれない。大学院ではそれがもっと顕著だ。論文を読めば、ゼミでの発言や外国語能力を見れば、知性のキレも何もかも、どうかんがえたって僕より上だ。そういえば他の人たちとの能力差のことでで指導教官の先生に部屋に呼ばれて説教されたこともある。自分は天才どころか秀才ですらない。それどころか凡人であるかどうかも疑わしかった。
だからこそ、自分が博士号を取れたことについては、能力云々ではなく、「ただ運が良かった」としか言えない。僕より能力のある人たちがあれほどいたのに、結局、同期で博士論文を書いたのは僕1人だった。ある者は学問を離れもっと実際的な方面へ進んでいった。(そしてそれも結局は能力があったからだと言えるかもしれない。)そして或る者は書くことを諦めた。諦めたというか、書く前に提出期限を迎えてしまった。(その場合は、僕のようないわゆる過程博士ではなく、著作や実績に基づいて論文博士として改めて博士号審査の申請をすることができる。別途審査料等が必要になる場合もあるが。)
なんか、一番駄目っぽかった自分が残ってしまった・・・という感じ。と言うよりも、もしかしたら、駄目だから最後までアカデミックな領域に残ってしまっただけなのかもしれない。頭が良くて能力のある人たちはとっくに逃げ出した沈没しかけの船に居残っているだけかもしれない。
ただ、昔、ある人が言ったことが今でも印象に残っている。ドゥルーズの『差異と反復』、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』・・・すごい人たちは博士論文が外国語に翻訳され、その本について今でもまだ数多く論文が書かれている。でも、どう考えたって自分達はそんな器じゃない。満塁逆転ホームランなんて、運よく打てればそれに越したことはないけれども、それだけを狙ってたら駄目だ。良くて内野安打、送りバントで運良く自分まで出塁、みたいな当たりを重ねていくしかない。
自分の能力の無さに自信がなくなりかけると、よくこの言葉を思い出した。結局、内野ゴロと送りバント成功の積み重ねが今回の博士論文になった。自分に特別な能力があったからではない。ただ運が良かったのだ。妻と子どもたちの存在、そして研究を続けることができた環境にいたこと、そしてそれを許してくれる人たちがいたこと。これに尽きる。僕1人では決してここまで来ることはできなかっただろう。

2月29日(水)
実家で一晩明かして、ひさしぶりに都会を散策。タワーレコードが改装中でCDを見れなかったのが残念。

3月1日(木)
妻の仕事の都合で夕方から下山。保育園に迎えにいって、そのまま下山。ブックオフの100円コーナーで長男坊はコロコロに連載している「デンジャラスじいさん」の単行本をゲット。それ以来、家で何度も読んで笑い転げている。

3月5日(月)
こんど保育園を卒園する子とその保護者でカレー作り。朝9時集合で給食の時間に間に合わせるように調理。といっても、お父さんは釜の火を起こしたり、薪をくべたり、火の見張り番。しかも僕以外にもう1人来ているお父さんが超アウトドア得意で、そうなるとこちらは何もやることなし。というか、役立たず・・・。

3月7日(水)
妻が人間ドックで早朝に家を出る。子どもたちはまだ寝ている。長男坊(4月から小学一年生)は起きるとお母さんがいないので泣いてしまった。ウニャ子は案外ケロッとしている。