気がつくと4月になっていた。

もう先月のことになってしまったが、3月24日(土)、長男坊がとうとう保育園を卒業。一歳になってすぐ通いだしたから、ほぼ6年間の保育園生活。
長かった・・・ような気もするが、いまの実感としてはあっけにとられるほどあっという間だったような気がする。
そういえば、はじめて登園した日は、父が送っていった。そのとき車のラジオから流れていた曲をまだ憶えている。ラヴェルボレロだ。(http://d.hatena.ne.jp/sniff/20061102
通う出した頃はまだ歩くことも出来なかったが、保育園で歩き出し、保育園で箸の持ち方・使い方を憶え、挨拶やことばを憶え、友達との接し方を学んだ。はっきりいって、少なくとも父である僕が教えたことはほとんどない。教えたことと言えばコロコロコミックの存在とガンプラの存在ぐらいか。
途中で同級生が他の保育園に移ったり、引っ越したりで男の子一人になってしまったこともあった。
最後の二年間はうまいぐあいに同い年の男の子が入ってきてくれて、彼のことを親友とかライバルとか呼んで、ほんとうに仲良く遊んでいた。本人たちは憶えていないが、一歳になるかならないかの頃に、秋祭りの「赤ちゃんハイハイ競争」でスピードを競っていたのだ。途中でオモチャで遊びだして二人とも時間切れ失格だったけれども。しかし彼も四月からはご両親の転勤で町を離れた。彼との日々もぜひずっと憶えておいてほしい。
ふりかえってみれば、あまり良い父親とはいえなかったと思う。すぐ自分のことにいっぱいいっぱいになって、イライラしてしまって・・・。
生まれて半年ぐらいで妻が職場に復帰し、そのあとの約半年は僕が家でひとりで彼を見る日々が続いた(・・・と思う。もうすでにこのあたりの記憶があやふやだ。)昼間は学会発表や論文書きのための時間をとることはこの時期はほぼ絶望的で、ではどうやってそれらの為に準備していたのか、そのあたりも思い出せない。きっと夜なべでもしていたのだろう。
保育園に通い始めてからも、掃除や洗濯など家のことをすませて本を読んだり文章書いたりしていたらあっというまに迎えの時間というのは当たり前で、いつのまにかそれがデフォルトになってしまっていた。でも、今になって思えばそれも良かったと思う。
人一倍繊細で、慎重で、負けず嫌いで、どちらかというと家でテレビやマンガを呼んでいるほうが好きな長男坊にとって、時には保育園という存在が面倒くさいものだったろう。ほんとうに頑張ってくれたと思う。たぶん、父よりも頑張った6年間だったと思う。彼のこの頑張りがあったからこそ、父も博士論文を仕上げることが出来た。というか、彼の存在が無ければあの論文の一部は書かれなかった。
「お集まり」(=朝の会とか帰り会など、みんなが集まる時間)が嫌いだと彼が言ったとき、すごく気持ちがわかった。ほんとうに大人になってよかったと父は思った。
でも、小学校に上がったら、これからそんな「お集まり」的なものはもっと増えていくだろう。ほんとうにいま大人で良かったと父はますます強く思った。でも、とりあえずそういうものについては、適当に流してくつもりで、頑張って欲しい。
彼にあって父に決定的にないものがある。それは誰とでもいつのまにか友達になって遊んだりする社交的能力である。町内に数箇所ある保育園全部になぜか友達がいる。スーパーなどで、親的にはいままで見たこと無い「君誰?」な子と急に親しげに話し出して遊びだしたりする。それはほんとうにすごいと思う。父には絶対これからも不可能なことだと思う。この点についてはほんとうに僕の子かとおもうほどまぶしい。
というわけで、保育園卒園おめでとう。


そして、この時期にきてもうひとつの突然の別れ。
長男坊が生まれたときに買った赤のゴルフ4ワゴンが検査の結果、外観やエンジンはキレイだがハンドル周りや足回り、ベルト関係など、相当なダメージを受けていることがわかった。人で言えば「心臓は丈夫だけど最近尿管結石ができたり、腰が痛くてリウマチも・・・」な状態といえばいいのだろうか。
車検費用に部品代込みで30万ほどかかる。しかも、それだけのことをしても、半年先まで大丈夫か、一年後まで大丈夫か、それとも次の車検まで大丈夫か、そのあたりは何ともいえないぐらいギャンブルな状態らしい。外車で20万キロ走るということはそういうことだと車の監督から言われた。子どもを乗せる事を考えると、残念ながらやはり選択肢は一つしかなかった。
ちょうど死んだ父の車を名義変更して乗り継ぐ手続きをしていたので、しばらくは父の残した日産ティーダにお世話になることになるだろう。
ゴルフ4ワゴン(子どもたちは「赤い車」と呼ぶ)は僕たち夫婦にとっても、子どもが生まれたとほぼ同時に買った車で(2006年の3月30日に我が家に来た。http://d.hatena.ne.jp/sniff/20060330)、長男の成長そしてウニャ子の誕生と成長を共にした存在であり、そのルックスも含めて理想的な車だった。いまはまだ次の車のことなんて考えられない。逆にあの赤い車じゃなかったらなんでも良いというか、国産の軽自動車でもいいんじゃね?な気分だ。

さらにもう一つお別れの予感が。
CDプレイヤーのトレイが開閉しなくなったり、読み込きできないことが多くなった。この機械は2005年の夏頃(http://d.hatena.ne.jp/sniff/20050813)にアンプやスピーカーと一緒に館長から譲ってもらったもの。パワーアンプはすでに逝っていたが、ここきてCDプレイヤーまで・・・。
とはいえ、車同様、もうハイエンドな単品オーディオとか、そういうのはもうどうでもいい感じ。それ一つでCDもラジオも、あとipodも繋げて聴けるような箱型の小さいものでなんか良いのがあればそれでいいって感じだ。そこまで「違いがわかる男」ってわけじゃないし。その方がオーディオまわりもスペースが空いていのではないだろうか。