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小学生はほんとうにプリントが多い。学級通信もほぼ週一で発行されるわけだが、今回は教室での出来事として、カエルの死体にまつわることが書いてあった。
簡潔に言えば、カエルの死体をそのままにしておくか、それとも埋葬するか、ということでクラスで意見が分かれたらしいのだが、大人のわれわれにしてみればすこぶるどうでもいい話。
なぜなら「死」は「死」でしかなく、天国もオタナジャクシの探索も、物語に過ぎないからだ。
(平野耕太『ヘルシング』9巻asin:4785928859)
しかし子どもたちは「天国に行けるように土に埋める」とか、「オタマジャクシが見つけられるようにそのままにしておく」など、真剣に意見を交わしたらしいのだが、そうか、子どもってそういうことを言うのか、と思った。
別にばからしいとかそういうことじゃなくて、もうそんな純粋なことを考えることができないが故に想像を超えた出来事として受け取るざるをえないというのが感想。オレも子どものころはそんなこと考えたのかなぁ・・・。
たぶん、「カエルの死体が見えるのは気持ち悪いから、埋めようがそのままにしようが、はっきりいってどっちでもいいけど、オレに見えないようにしてくれたらどっちでもいい」というのが当時のオレの正直な感想なのではないだろうか。
で、うちの子に「君はどっちの意見だったの?」と聞くと、「○○ちゃん(女子)が『天国に行けるように土に埋めなきゃだめだ』って怒ってたから黙ってた」らしい。
つ、つまり、ひ、一言で要約すると、「面倒くさい女子がうるさいこといろいろ言ってたから関わらないようにしていた」ということか・・・。流石だな・・・。
処世術としてそういうものも無いとはいえないが、小学一年生にして対立を超えたメタ視点に立つなんて男前すぎる・・・。
(追記)
事実確認が適当だったので修正。
実際は先に埋めようとしていた子たちに、○○ちゃん(女子)が埋めるなと文句(とはいえ彼女なりの正論)を言い出して、長男坊は何か言ってこの状況を混ぜくってもなんかアレだな〜という感じで黙っていたらしい。