昨夜は妻が女子会と言う名の飲み会のために不在。長男坊はいざ妻が出かけようとすると号泣。ウニャ子もそれにつられて号泣。
長男坊のお母さん恋しさはかなりマジなものだが、ウニャ子の場合はそこまでではない。意外とあっさりしている。きのうは長男坊があまりに号泣するので不安になって、それに釣られて自分も泣いてしまったという感じ。正直めんどくさい・・・。

吉田秀和さんの訃報。少し前に買った『言葉とフーガ 自由に、精緻に』や、全集をいくつか読み返す。「名曲300選」の巻末に推薦レコードリストが載っているのだが、マタイ受難曲のところでリヒター盤のほかにカラヤン盤が挙げられていることに気づいた。マタイの録音であれば凡百の批評家はカラヤンの録音というだけで絶対に挙げないであろうこの録音をあえて挙げているところがやはり尊敬する。思えばはじめて買ったマタイのCDはカラヤンのものだった。

自分の文章のスタイルはかなりの部分を吉田秀和さんに負っている気がする。その書かれたものによって慰められたこともあるし、影響を受けすぎて音楽についての論文を強引に書き上げたこともあった。そういえばその論文を見せたとき、はじめて指導教官の先生に褒められたのだった。実際にお会いすることなんて無かったが、その意味では恩人である。

博士論文を仕上げたことが自分にとって一つの区切りになったのは事実である。それ以来、それまでやってきたことと無関係とまでは言えないが、新しいことへの興味関心が自分のなかでムクムク大きくなっているが、いかんせんまだ始めたばかりで形にできるものがない。しかし、論文の締切が迫っている。
結局いまのところ、これまでの貯金でどうにかしないといけない状況のようだが、これがどうも精神的にきつい。気持ちは新しい方向へ向いているのだが、過去のものをまた掘り返さないといけないテンションの低さというか・・・。
論文の数(実績の量)をかせぐとはそういうことだと言われればそうかもしれないが、自分がこういう状態で書いた論文を他人が面白いと思うか?と問われると、なんとも答えに窮する。

しかし、ともかくまだ少し時間があるので、とにかくなんとかする。