九月四日。きのうはドラえもんの誕生日100年前だったそうだが、そういう事情とは関係なく、長男坊は8月27日から始業式&2学期スタート。だからもうすでに1週間以上学校に通っているのだ。
新学期すぐに運動会があるらしいので、授業はほぼ毎日一日じゅう体育。ときどき国語や数学が思い出されたように行われる。
・・・と、こういう内容を一度書いたのだが、そのころうちのパソコンのブラウザ(IE9)が無茶苦茶調子悪くて、「問題が発生したため作動を停止しました」云々を連発して書いた内容が消えてしまったのだ。いまはグーグルのグーグル・クロームとかいうブラウザを使っている。違いはよくわからないが、とりあえずいきなり動作を停止することはないようなので、もうしばらくこれでいく。それにしても、なぜ急に前のブラウザは調子悪くなってしまったのだろうか。インストールし直してもだめだったが、一体・・・?Macのパソコンを買えというお告げか?

それはともかく、町の本屋で新潮文庫新刊として出ていた木田元の『ハイデガー拾い読み』を購入。木田元ハイデガーものは、古くは『現象学』(岩波新書)、『ハイデガー』(岩波現代文庫)、『ハイデガーの思想』(岩波新書)その他等々いろいろ読んできたが、いつのころからか「なんか、読んだことのある話だな・・・」とデジャヴ感ばかりが目に付いていつのまにか読むことも追いかけることもしなくなったのだが、久しぶりに読むとやっぱり話もうまいし勉強になった。

ハイデガー拾い読み (新潮文庫)

ハイデガー拾い読み (新潮文庫)

特にこの本は翻訳あり・なしに関わらず、とにかく講義録を中心に話が進められていて興味深い。デカルトの時代とカントの時代では「Subjekt」と「Objekt」の意味内容がまったく逆になった話(近代以降ではSubjekt=主観、Objekt=客観と解されるが、近代以前においては逆の意味を持っていた)と言う、哲学業界では良く知られた話がうまく整理されていて参考になったし、ライプニッツ講義、アリストテレス講義の話も興味深い。また、創文社から刊行されている「ハイデガー全集」の翻訳方針への批判(「存在」、「時間」という訳語は使わないという方針が採られていて、たとえば『存在と時間』というあまり有名な本も、この翻訳全集では『有と時』となっている。翻訳プロジェクトの責任者が道元の「有時」という言葉にとにかく結び付けたいらしい)も、「あ〜そうそう。」と頷ける。

今朝は寒くてタオルケットだけではぜんぜんだめだった。そろそろ布団の準備かな・・・。