書類書きのために、久しぶりに午前中からパソコンを立ち上げている。午前中は掃除や洗濯その他こまごまやることがあるのはいままでどおりなのだが、あえてパソコンを使わず、本や論文紀要などの活字ものを読み、論文についてのメモをノートやメモ帳につらつら書いたり、なんとなくアナログなことをやっている。パソコンって、実際につかうのはワードやPDFビューワーぐらいなんだけど、けっこう寄り道も多いんだよね・・・。

このあいだ、長男坊が宿題をしながらこんなことを言った。「・・・『9-4=』の答えって、逆に『4』を足すと『9』になる数字だよね?」
ああ、確かにそうだけど、どうして知っているの?と聞くと自分で気づいたらしい。
別に日には次のようなこと言った。「『か』とか『な』とかって、『かーー』とか『なーー』って伸ばすと『あ』になるよね。『き』とか『し』も『きーー』とか『しーー』とか伸ばすと『い』になるよね?」これも自分で気づいたらしい。

そういえば自分も子どもの頃、同じことに気づいたことを思い出し、なんとも不思議な気持ちになった。
当時の僕はそのことが何だかよくわからないけどすごいことのように思えて、親や友達に話した。
でも、反応は冷淡かつそっけないものだった。
「それが何?」
「あたりまえじゃん」

・・・そ、そうか・・・当たり前のことなのか・・・。っていうか「それが何?」って言われるぐらいどうでもいいこと気づいて嬉しくなってた俺って何?という具合に、すっかりテンションが下がってしまったことも同時に思い出してしまった。

でも、数式のほうは後々、方程式の解法なんかで出てくる所謂「移項」ってやつのすごく単純なヴァージョンで、音を伸ばすと「あいうえお」のどれかになるっていうのは、子音と母音とかそういう話なわけで、そんなにたいした話ではないということもなかったのではないかと、今になってみれば思う。
大人にしてみれば、たしかに知識としては初歩的な知識なわけで、「だから何?」的な反応もいたしかたない部分があると思うが、できればこういう小さな発見(もちろん本人にとっては小さいものではないのだが)も大事にしてやりたいと思う。
同級生たちの冷淡な反応の理由は、知的レベルが云々とかそういう話では決してなく、きっと僕の数字がどうだとか音がどうだとかいう話なんてほんとうにどうでも良かったという、ただそれだけの話なのだろう。
ただ、もしも僕がイケメン&スポーツ万能だったら、また話は違っていたのかも知れない。


アマゾンさんでサイモン・ラトルベートーヴェン全集が1500円を切っていたので思わずポチっとしてしまった。

Beethoven Symphonies

Beethoven Symphonies

いろいなサイトでレビューを読むと、ベーレンライター版をもとにラトル独自の解釈も加えて、古楽器奏法も導入してウィーン・フィルと録音した云々とあるが、難しいことはよくわからない。とりあえずクラシックオタク業界では賛否両論・毀誉褒貶の激しい演奏だということはわかった。
個人的には主観入りまくりの暑苦しくてくどい演奏が苦手なので、これぐらいクリアで明るくて、スマートで軽快な演奏のほうが好ましく感じる。時おり見せる強烈なコントラストやアタック感が新鮮。こんな音があったんだと気づかされることも多々あった。ふだん1960・70年代の演奏ばかり聴いているので、ああ、21世紀の演奏とはこういうものかと感心しっぱなしである。気づくと一日中CDをとっかえひっかえ聴いている。個人的には1番・2番・3番・9番が良かったと思う。6番はもともと誰の演奏でもピンとこないので、よくわからない。
もちろんマニアに言わせれば世の中にはラトルの演奏より良いものはいくらでもあるということになるのかもしれない。
でも、たぶん、完璧な演奏などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないように。