長女ウニャ子に新たな人格が発生したようだ。その子の名は「みやちゃん」というらしい。帰ってきてすぐ弁当箱を出すとか、脱いだパジャマを片付けるとか、ごみをちゃんとゴミ箱に捨てるとか、とにかく本体(ウニャ子)だったらやらないことを次々にどんどんやってくれる。

名前の正確な由来は不明だが、最近お気に入りのアニメ『ひだまりスケッチ×ハニカム』に主人公の友人で大食い・天然・豪快・明朗闊達・不思議キャラ「宮子(みやこ)」という登場人物がいて、そのキャラクタの劇中での愛称が「宮ちゃん」だということに最近気がついた。キャラ設定はともかくとしても案外このあたりから来ているのかもしれない。

ところで一ヶ月のあいだに2回も映画館に行ったなんて、何年ぶりだろう?子どもが生まれて以来ではないだろうか?
そういうわけで観てきたのは『イナズマイレブンVSダンボール戦機』(略して『イナダン』)と、観ることを学会準備中から心の支えにしていた『新劇場版ヱヴァンゲリヲンQ』である。

『イナダン』のほうは長男坊と二人で、つまり男子チームで観た。女子チームはそのあいだ「おしゃれなお店やスイーツのお店」を見てまわったらしい。すでに非リア充リア充との差が・・・。



『ヱヴァQ』についてはもういろんな人が興味深い解釈を試みていて今更自分が評論めいたことを書いても戯言にもならないのでただただ自分の思ったことを書いてみるが、とにかく見終わった後の「おいてけぼり感」、「終わった・・・感」、「明日からどうすればいいの?感」ははじめて感じたものではない。まだギリギリ学生(院生)だったころ、いわゆる旧劇場版を見終わったときに感じた、あの感じを思い出した。

新劇場の序そして破を見たとき、はっきりと時代が変わったことを認識した。旧劇場版ではひたすら(主人公なのに)エヴァに乗ることを拒否し、仲間たちがどんどん倒れ、世界が殺戮されているなかで自らの内面世界に逃避した「シンジ君」が新劇場では主体的に意思し、行動し、まさにネットスラングでいうところの「シンジさん」へと変貌を遂げていたことには深く心を動かされた。
それが90年代とゼロ年代の違い、一見すると倫理的身振りといえなくもない「待機主義」と倫理的判断によって待機することそのものが非倫理的なものとして選択肢から排除された「決断主義」との違いだと言ってしまえばそれだけの話かも知れないが、世界が滅ぼうとも自分の大切なものを取り返し、守ろうとするシンジさんの姿にきっと僕だけでなく多くの人たちが心を動かされたにちがいない。旧劇場版を見ていたあの暗い館内でほんとうに求めいていたのはこのようなカタルシスだった。このシンジさんなら、あの旧劇場版で何ともいえない鬱々とした気分に僕らを、そして最後に「気持ち悪い」とつぶやいたアスカを救ってくれると思っていた。

だが、『ヱヴァQ』はそんな話ではなかった。甘かった。エヴァがそんな話であるはずはないのだった。新劇場の序や破の物語性やカタルシスを求めた人たちはきっと冷水ぶっかけられた気持ちになったのではないだろうか。おしゃれ映画のつもりで見に行ったカップルなんてもう・・・。

個人的には、新劇場とはいえ序や破との繋がりよりも、テレビ版や旧劇場版と繋がりを強く感じた。旧劇場版のラストに残ったアスカとシンジの二人の物語にどうけりがつけられるのか・・・。そんなことを思った。

新劇場版の序・破において決断主義的ともいえる主体性と行動性を得た主人公にカタルシスを感じた僕のような観客にとっては、それが何を意味するのかを考えさせられる映画だった。たとえ自分が死んでも、世界が滅んでも、どんな犠牲をはらっても・・・。こんな英雄主義的な身振りが実は身勝手で偏狭で子どもじみた「セカイ系」的な自己満足でしかなかったとしたら。自らを閉ざし、他人を損ない、世界を損なうものであったならば。僕らは何を決断し、何を行為することが許されるのか。

でも本当のところは、このような問いに真剣に向き合うほど自分がもう若くないということ、このことに気付かされたことが一番自分をうんざりさせた。
待機主義?決断主義?なにそれ食えるの?おいしいの?それがどんなに他人を幻滅させるとしても、アホかと思われるとしても、とにかく、なんとかして、なんかこう、自分のやれることをやっていくしかないじゃんよ俺たち。そんなもともこもないことをつらつら考えてしまう自分にまた幻滅するのだった。

それとは別に『Q』はアスカの物語なのではないかと思った。旧劇場版ラストのアスカが何がしかのかたちで救われるのかどうか、それは全く分からないが次回作(これが最後になるらしいが)を期待して待ちたい。

個人的な映画の評価としては最高に面白かったです。情報量が多いので複線とか内容とか自分でもまだぜんぜん消化しきれていなくて映画そのものを理解しているとはまったく言えないですが、まさにいま見るべき映画であったと思います。あと、同時上映の『巨神兵、東京に現る』は3.11以後の世界を考える上で、そこに何か思想的なものを読みとるというよりも、見ておいてよかったと思いました。なぜ最後の段落だけ「ですます調」になってしまったのか、僕にも分かりません。

それと、今回も総統閣下がこの映画について熱く語ってくれていました。

総統閣下は1分52秒ごろから登場します。