ふと自分の座っている机の周りを見渡してみると、机の脇や下では本やCDがお互いに微妙なバランスで支えあいながら何かモニュメントかオブジェのようなものをかたちづくっている。机の上も同様。パソコン脇にも本や漫画を積みすぎて、窓の外が見えないぐらいだ。
もしかしたらこの机周辺の状態がいまの自分の頭の状態というか、精神状態かもな・・・なんて思うとなんとも切なくなり一日がかりで整理。ああ、これこんなところにあったのかとばかりにいくつかの漫画や本を文字通り「発掘」。本棚も整理して「いまはとにかく読まないだろうし興味もない」という本や、文庫で買い直したハードカバーの本を片付けてスペースを開け、どうしようもなく積み上げていた本を選んで並べていく。背表紙の並びに、いま自分が考えようとしていることが視覚化されていく。ほんとうは年末の大掃除のときにやっておくべきことだったのだけれど。
空間が広くなったからか、CDの音もよくなった気がする。右側のスピーカーから音が出ていないけれど。(いろいろ接続やらなんやらを調べたがどうやらスピーカー側に問題があるようだ)

年末年始は妻の実家で過ごした。冬の宮崎の穏やかさといったら一体・・・。長男坊はいちおう3DSも持って行っていたが、いとこたちと遊ぶのに忙しくてほとんど3DSで遊ぶこともなかったようだ。たまにスーパーマリオブラザーズテトリスといった往年のゲームで自分の腕前を披露していたが、まぁ、その程度。ゲームを買い与えるときに一番心配だったのは、こういうみんなが集まる場所でコミュニケーションをとることよりもゲームを優先させてしまうな行動をとることだったが、すこし安心した。

8日から小学校もはじまり、妻も仕事はじめ。自分も大学に行き、次の論文の準備でいろいろと資料をコピー。研究室ではじめて会った留学生に研究のやり方や日本語のことを聞かれたので、とりあえず読んでおいたほうがいい本や論文のことを話す。

ひさしぶりに都会に出てきたので本屋でいろいろと物色。
このところ長男坊がはまっている漫画『聖☆おにいさん』は下界にバカンスに訪れたイエスブッダの話なのだが、とりあえずブッダ側の仏教ネタについては子どもの頃から読み重ねた手塚『ブッダ』の知識が生きるとして、イエス側のキリスト教ネタはところどころよくわからないところが多い。

聖☆おにいさん(8) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(8) (モーニング KC)

ブッダの弟子であるラーフラとかアーナンダとかが出てきても「ああ、あれね・・・。」と人相まで大体分かるのだが、イエスの弟子であるヨハネやペテロ、アンデレといわれても名前は知っているけどブッダ弟子ほどピンと来ない。聖書を旧約・新約ともにドーンとそろえて勉強すればいいわけだが、うちの子どもでも読めそうな本のほうがいいかなと思い、すこしハードル下げ気味にこんな本を購入。
遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子 (とんぼの本)

遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子 (とんぼの本)

(たぶん『芸術新潮』の特集をそのまま本にしたんだろうな・・・。)

ガタリやメイヤスーの翻訳、千葉雅也×小泉義之対談など読みたい記事もりだくさんな『現代思想』最新号も購入。

現代思想2013年1月号 特集=現代思想の総展望2013

現代思想2013年1月号 特集=現代思想の総展望2013

タワレコでは、最近興味のあるハインリヒ・シュッツの5枚組み、そしてフレット・ワークによる中世・ルネサンス期のイギリスのヴィオール音楽集をゲット。こちらも5枚組みに合わせてCD10枚なわけだが、3000円しなかった。フレット・ワークのアルバムでとりあげられている作曲家たちについては、はっきりいってパーセルぐらいしか知らないのだが、どれも聴きやすくて良い曲ばかり。
シュッツはバッハ生誕のちょうど100年前1585年生まれの作曲家で、イタリアでジョバンニ・ガブリエルに学び帰国後はドイツ音楽に息吹を与えた「ドイツ音楽の父」と呼ばれた。この人がいなかったらバッハそしてベートーヴェンブラームスの音楽も無かったとまでは言わないが今のものとは全く異なるものであったかもしれない。確かにシュッツの重厚で多層的な音楽は「ドイツ的」と呼ばれるものの到来を予感させる。

English Music for Viols

English Music for Viols