3月11日が近づいた頃からそして今でも、自分でも特に深い意味はないだろうとは思うのだが、バッハのマタイ受難曲のCDを流していることが多い。

何度も書いたが、あの日は次の日に予定されていた九州新幹線開業記念イベントのために折りたたみ椅子を倉庫から軽トラで何往復かして会場に積み込み、翌早朝から新鳥栖駅イベントに行く人と連絡を取って、仕事場に戻ると従業員もお客さんもみんなテレビに釘付けになっていた。
いそがしさにかまけて特に何も気にせずに自分のデスクに戻る途中、ちらっと横目で見たテレビには黒い濁流が田んぼを駆け走るような映像が映っていた。しかしその何が起こっているのかわからない、あまりに巨大であるが故に現実として認識できないという現実感の無さすぎの為に、自分の目の前の仕事というちっぽけな現実に戻るしかなかった。

バッハのマタイ受難曲といえば、これもあらゆる音楽雑誌、クラシック評論本では不動の名盤があって、それがカール・リヒターが1958年に録音したものである。もちろん自分も持っていて、その峻厳さ、高貴さ、信仰というものの崇高さに身が引き締まるほどだ。

Bach: Matthaeus Passion

Bach: Matthaeus Passion

これもマタイ受難曲ベスト録音というランキングでは、かれこれ数十年、おそらく発売されたからずっと一位だと思う。もうこうしたことについては特に感想は無いが、これがそのような評価を受けてきたことは納得できる。

ふと「そういえば俺って、マタイのCDほかに持ってたかな?」と思って調べると、意外とおさえるところはおさえている。カラヤン盤はバッハ愛好家・音楽評論家たちからは一番評価が低いものだが、よく考えるとはじめて買ったマタイのCDだ。メンゲルベルグ盤は、(評論家の評価はカラヤン盤より上だが)とりあえず歴史的記録として・・・。

バッハ:マタイ受難曲

バッハ:マタイ受難曲

  • アーティスト: シュライアー(ペーター),ウィーン楽友協会合唱団,ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団,ベルリン国立合唱団少年団,ベルリン大聖堂聖歌隊少年隊,ヤノビッツ(グンドゥラ),ルートビッヒ(クリスタ),ベリー(バルター),ディアコフ(アントン),フィッシャー=ディースカウ(デートリッヒ)
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1997/04/09
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログ (2件) を見る

J.S. バッハ:マタイ受難曲(メンゲルベルク)(1939)

J.S. バッハ:マタイ受難曲(メンゲルベルク)(1939)

古楽器演奏ないしピリオド奏法にすっかり馴染んでしまった今日では、両者ともいささか大げさで大時代的なものとなってしまった感があるが、カラヤン盤はそう悪口をみんなからいわれるほど悪いものではないと思う。とにかくベルリンフィルの実力を生かしつつ、なおかつゴージャスになりすぎないように控えめに、でも美しくあろうとする演奏だ。(そのわりには合唱がちょっと余裕無さ過ぎて「あれっ?」と思ってしまうのだが)
最初にこれを聴きこんでいたから、リヒター盤をはじめて聴いたときは寒風すさまじい戸外に急に出された様な驚きを感じた。

しかし、すくなくともいまの自分にとっては、ボックスでヨハネ受難曲やミサ曲ロ短調と一緒に手に入れた鈴木雅明/バッハ・コレギアム・ジャパンのマタイ、あるいはレオンハルトのマタイがいちばん心にくるものがある。

Sacred Masterworks (Ltd) (10CD Box)

Sacred Masterworks (Ltd) (10CD Box)

J.S. Bach: Matthaus-Passion Bwv 244

J.S. Bach: Matthaus-Passion Bwv 244

鈴木雅明/BCJは、「日本人のバッハなんて・・・」という偏見を持っている人にはぜひ聴いて欲しい。遅すぎず、かといってピリオド奏法によくあるセカセカした感じも無く、そして重厚になりすぎず、軽やかでほの明るい演奏はくせになる。おそらく最近ではいちばん再生する回数が多い。

レオンハルト盤はテンポも遅め、そしておそらくオケも小編成で大音量的な迫力はないけれども、この慎ましさが逆に良い。しかも声楽部についてはすべて男性で、ふつう女性が歌うソプラノパートはボーイ・ソプラノが担当していて、全体的に渋い演奏。(廉価盤なので歌詞ブックレットは付いていないが、いまどきそのあたりは何とかなる)

二つとも常時トップワンのリヒター盤に比べれば微温的で、それこそリヒター盤至上主義的な人からすればぬるいと断じられるかもしれない。
でも、僕が生きるこの時代、今いろんなことがこの僕をとりまいている時代、リヒター盤の峻厳さ・崇高さももちろん大事だけれど、神の高みから厳かに降り降りてくる音楽よりも、鈴木雅明/BCJやレオンハルトの演奏のような、一緒に寄り添って歩いてくれる音楽のほうが今の自分にはしっくりくる、ただそれだけのことである。