気づいたら一ヶ月以上更新していなかった。後期の授業が始まってからはその方面のことばかり考えていてネットが疎かになってしまう。

一ヶ月前まで遡って起きたこと、経験したことを書こうにもさっぱり思い出せない。しかし、たしか先々週の3連休は神戸に行ったのだった。いま六甲でがんばっている知り合いのアーティストの陣中見舞いをかねて義姉夫妻宅へ遊びに行ったのだった。子どもたちは従姉妹と遊べるので始終浮かれていたが、久しぶりに新幹線に乗ったのだった。博多駅近くの駐車場に止めようとして道に迷い、駅到着が発車時刻ギリギリになってしまったのも今となっては良い思いでである。やはり都会の道路事情は恐ろしい。

余裕があるかないかと聞かれたら余裕なんてないのはいつものことだが、今回の非常勤は、自分でも今までとは違うなぁと感じている。今までがどういう風だったかというとうまく言えないのだが、授業で使う資料の準備やレジュメ作成は当然としても、オープニングトークでちょっと笑いをとって・・・このポイントで説明加えて、次でギャグ要素混ぜて・・・と、とにかくすべて自分の台本=コントロール通り授業を進めることばかり考えていたする。

もっと悪く言うと、あまり学生さんの顔見ながらやってなかったのではないだろうか。といってもこれは学生の顔色を気にするということではなくて、結局そこに集まっている学生のことを信用してなかったということではないだろうか。そしてそうなると一行読むためにいくつもの専門用語や文脈を説明するはめになり、テンポも悪く、議論の全体が何を言いたいかわからなくなる。そうすると焦ってますます説明を加えることになり・・・の悪循環でおのずと授業しているこちら側にも無理が生じてくる。「おれの言っていることって面白くないかな?」「この話面白いかな?」と、学生がどう思っているかということばかりが気になって、結局よくわかんない授業になっていく・・・。

こんなやり方ではいつかダメになる・・・というピークが看護学校での論理学の授業だった気がする。もちろんあの授業は今の自分にとってできることをできるかぎりやってみた結果なので、何も悔いは残っていないが、正直きつかった。今思うと「いままでのやり方ではこの先うまくやっていけないぞ」的なものが自分の中からジワジワ出てきていたのかもしれない。

そして現在。そんな過程を経たからか、集まった学生との相性がたまたま良かったのか、すくなくとも今のところは、これまでよりもずっと肩の力を抜いてやれている気がする。学生にテキストを分担させ発表させるということをさせようと思った時点で、かなり自分も成長したのではないだろうか。まだ後期授業の三分の一も終わっていないので、これからどう転がるかわからないが、現状はそんな感じか。

授業まで時間があったので、途中タワレコに寄ってCDを買った。

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77/弦楽六重奏曲 第2番 ト長調 Op.36 (Brahms : Violin Concerto String Sextet no.2) [輸入盤・日本語解説書付]

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77/弦楽六重奏曲 第2番 ト長調 Op.36 (Brahms : Violin Concerto String Sextet no.2) [輸入盤・日本語解説書付]

これまた先日買って聴いたダニエル・ハーディングブラームスSym.3・4があまりに素晴らしくて、そのハーディングが指揮するブラームスのヴァイオリン協奏曲、しかもソリストイザベル・ファウスト、オケはマーラー・チェンバー・オーケストラということで期待して聴いたが、なんか、よくわからなかった(笑)。期待が大きすぎたのだろうか。もう少し聴き込んでみよう。

Brahms: Synohonies 3 & 4

Brahms: Synohonies 3 & 4

ハーディングのブラームスSym.3・4はほんとうに素晴らしい。内容はもちろん、ジャケットも良い。ピリオド奏法のせいか情報量の多さが新鮮。重厚になりがちなブラームスがこれほど軽やかで清明な響きで鳴らされるとは・・・。残りの1番・2番の録音が待ち遠しい。