中公文庫からアウグスティヌス『告白』が文庫(三分冊)で新装発売される。

そういえば昔の「世界の名著」ヴァージョン(こちらは二段組で一冊)で持っていたなと思い、つらつらページをめくる。やはり自分が非キリスト者だからだろうか。どうもよくわからないところも多い。
「世界の名著」シリーズは今でも「中公クラシックス」などのかたちで再版されてるが、付録の解説はがぜん古い「世界の名著」ヴァージョンのほうが量も内容も長大な場合が多い気がする。ハイデガーの「存在と時間」の中公クラシックス解説は、古い版でも翻訳・解説を担当した渡辺二郎が新たに解説文を寄せていたが、案外あっさりしていて「あれ?」と思った記憶がある。古いほうには原佑と一緒にハイデガーの自宅を訪れた際のエピソードもありでなかなか濃いものであった。もちろん現代の研究水準からくらべて解説として賞味期限を過ぎているとか、スペースの問題もあるのだろうが、元本の「世界の名著」シリーズはどれも解説だけでおなかがいっぱいになった。
とくに「なぜこの研究の道に足を踏み入れたのか・なぜ自分がこの本を翻訳することになったのか」が自分の生い立ちと共に書かれていて、この部分ははどの本もいつも興味深く読まされる。
すこし年の離れた従兄弟や叔父に当たる人が遠く離れた大学宿舎や軍の宿舎から帰ってきては、自分が聞いたことも無い書名や人名、概念について話してくれる。そしていつのまにか自分もそれに類する本を読みふけるようになって・・・というパターンが多い気がする。(そして往々にして、その従兄弟たちや叔父たちは不幸にも戦火に消えていく)ここには「学び」がどう立ち上がるか、そしてそれがどのように育っていくか・受け継がれていくかということについて重要な示唆があるような気がする。
「世界の名著・アウグスティヌス」のなかで訳者・解題者の山田晶先生は「そのころ一身上にある事件がおこり、わたしは自分の弱さを骨の髄までしらされて、こころをいれかえねばならないと決心した。それまでわからなかった回心ということが内面からわかった気がした」(p.11)といきなり「告白」しはじめて、読んでるほうはいったい何があったんだ?とびっくりしてしまうが、この世界の名著シリーズの解説は全体を通じて、こういうよくわからないモヤモヤが残るような「告白」が多い。